出産後の入院生活は思っていたよりつらかった

妊娠・出産

無事に赤ちゃんが産まれて一安心。
妊娠中にイメージしていた入院生活は、
『授乳で起きるのはしんどいだろうけど、赤ちゃんは可愛いし、ゆっくり休めるし、
コロナとはいえ多少は産婦さんと話すだろうから気の合う人もいるかも!
わからないことだらけだけど、助産師さんに聞けるし安心だよねっ!』

ってなかんじでした。

コロナにならずに出産することが第一目的になっていた私。
あとは単純に陣痛とお産の痛みが怖すぎて、
『ひとまず無事に出産を乗り越えたらどうとでもなるでしょ!』
それ以外のことは極端に楽観的になっていました。
(しんどいながら、どうにかやってこれたので、ある意味では正しいですが…笑)

入院していた病院ではコロナ対策のため、お見舞いがNGでした。
少し寂しいけどゆっくりできるし、お見舞いが無いと暇だから漫画持って行った方がいいかな?
とか思っていましたが、いろいろ考えが甘かったです。
(4泊5日の入院では、漫画を読む余裕はありませんでしたー☆)

 

会陰切開の傷が痛くてゆっくりするどころじゃない
妊娠中、会陰切開があまりにも怖くて、会陰マッサージをしていましたが、結果的に切ってもらうことになりました。切ってもらったときには痛くも痒くもありませんでしたが、麻酔が切れてからはなかなかに苦しみました。
この痛みで保険下りないの正気か!?と思います。
(※保険の商品内容等によっては、給付金が下りる場合もあるので要確認です!)

初日は痛み止めを飲んでも痛くて痛くて痛くて、寝付けないほどでした。
痛み止めを飲む際、6時間は間隔を空けないといけないのに、それも我慢できませんでした。
(陣痛のときの痛み耐性はどこに行ったのやら…)

痛くて寝れない旨を伝えると、追加で飲んでも大丈夫なように違う種類の痛み止めを出してもらえました。夜中にナースコールするのは呼びつけるみたいで気が引けましたが、我慢せずに言って良かったです。
最初の夜は、結局3時間おきくらいで2種類の痛み止めを交互に飲んでいました。

入院中は、円座クッションを使ってようやく座れる状態でした。
円座クッションは病院で貸してくれるとは思いますが、無いとキツイです!
これから出産の方は、念のため病院に確認しておいた方が良いと思います。

いつまでこの痛みが続くのか…と不安になっていましたが、
退院することには、短時間なら円座クッションがなくても座れるほどには回復しました。
その後、だいたい3週間くらいで円座クッションを使わずに過ごせるようになれました。

正直、入院中はずっと痛かったですが、最大級に痛かったのは初日の夜だけで、
徐々に痛みはましになっていきました。
当たり前ですが、傷が治ったら痛みはなくなって元通りになります!

 

寝たいのに寝られない
入院中に身体を休めて少しでも回復しておいた方が良いと聞くので、
出産が終わった日は何があろうとすぐ寝るつもりでいました。

出産後すぐは身体の疲れを感じなかったのですが、
「産後ハイで麻痺しているだけだな、騙されないぞ。私は寝るんだ!」
病室に着くなり、張りきってアイマスクをしました。(この時点で軽くハイ)

…が、全く眠れない。

お産直後のため興奮状態が続き、目がギンギンに冴えてしまいました。
最初は寝ようと目を瞑っていましたが、そのうちに会陰切開の麻酔が切れてからは、
痛みが強すぎて寝るのを半ば諦めました。

痛みを紛らわせるためにも、友人たちへの出産報告の文章を作ったり、
調べものをしたり、通販で必要なものを買ったり…と、スマホを触りがちだったので
余計に眠りから遠ざかってしまったような気もします。
結局、初日はほとんど眠れませんでした。
(ここで家用の円座クッションをネット注文できたことだけは良かった!)

その後は授乳が3時間おきにあるので、それ以外の時間になるべく寝たかったのですが、
なぜか空き時間には目が冴えて、やっと寝られたと思ったらすぐに授乳の時間が来て、
授乳中はとてつもなく眠い…という謎のサイクルに嵌っていました。

また、家族が面会に来られない分、写真を送らなくちゃという使命感に駆られて、
実両親と義両親に毎日写真を送っていました。

写真を送るだけならすぐですが、そこから始まる会話が気になってなかなか寝られませんでした。
今思えば退院してからでも写真は送れるし、電話もしやすくなるので、入院中にそんなにしょっちゅう連絡しなくても良かったです。
もしくは、写真共有用のアプリをみんなでダウンロードするのもひとつの方法でした。
(『みてね』がオススメです!https://mitene.us/

 

気楽に話せる人がいない
コロナ対策のため面会は禁止となっていたので、入院中に親や友人と会うことはできませんでした。有難いことに荷物の受け渡しはOKだったので、荷物を受け取るときに短時間でも夫と顔を合わせられたのは心の支えになりました。

ただ、コロナの影響かどうかはわかりませんが、入院中に他のママさんと挨拶以上の話をする雰囲気ではありませんでした。大部屋ではみんなカーテンを閉め切っていましたし、病室外の共有スペースでは電話を掛けるだけとなっていました。
授乳では同じ時間にママさんが授乳室に集まっておっぱいやミルクをあげるのですが、
ママさん同士で話している人は全くと言っていいほど見かけません。

普段ならこちらから話しかけたかもしれないですが、飛沫が飛ぶから他人に話しかけられたくないかも…などと思い、話しかける勇気が出なかったです。

ドラマや漫画の影響で、お互いの赤ちゃんを愛であったり、励ましあったりというイメージが強かったので、ギャップが大きくて少し残念でした。

ただ、同じような時期に出産で入院していた友人は、同じ部屋の産婦さんたちとずっと話していたそうです。病院の雰囲気や、どんな方が同室かなどによって違ってくるとは思います。

 

授乳が辛い
3時間おきの授乳が大変とよく聞きますが、まとめて眠れないのが大変なんだと思っていました。
実際にはじまってみて一番しんどかったのはメンタルでした
(細切れ睡眠もたしかに辛いけど…)

赤ちゃんが産まれたら自然におっぱいが出て、ごくごく飲んでくれるんだと思っていましたが違いました。
吸ってもらわないと母乳は出るようにならないし、赤ちゃんも最初から上手におっぱいを飲めるわけではありませんでした。

病院ではよく泣いている赤ちゃんもいましたが、息子はほとんどずっと寝ていました。
授乳の時間でもすぐに寝てしまうので、くすぐって無理やり起こして、おっぱいを咥えてまた寝ての繰り返しでした。
助産師さん曰く、赤ちゃんは外の世界に出てきたばかりなので、3~4日目くらいから目が覚めてくることも多いそうです
(息子は1週間くらいは寝てばっかりだった気がします)

おっぱいを咥えてもらっても、母乳が出ないからか上手く吸えないからか、ほとんど飲めていなかったので、最初はほとんど全量ミルクをあげていました。
どうやって母乳を飲んだ量を管理するんだろ?と不思議だったのですが、飲む前後の体重を測って引き算していました。
退院してからは都度測ることができないので、入院中に測った母乳量は飲めていると考えて、足りない分のミルクを足すということでした。

この頃は、ミルクだったら夫もあげられるし、飲んだ量もよくわかるからそれでもいいかな~と呑気に考えていました。
助産師さんともそんなことを和気あいあいと話していたのですが、
2日目の途中から状況が変わってきました。

急に胸が張って熱くなり、ガチガチに…!

おっぱいが作られる量に対して出ていく量が少ないと、作られたおっぱいがどんどん溜まって乳腺炎になってしまいます。
放っておくと発熱や頭痛や、倦怠感が出てかなりしんどいらしいです。

乳腺炎という言葉だけは知っていましたが、おっぱいや授乳について何も知らなかったので、危機感がありませんでした。
(とにかくコロナと陣痛が怖くて、出産までのことばかり調べていました…)
しかし、すぐに助産師さんの様子が変わってきました。

胸が張る前は、のんびり行きましょ~ぐらいのテンションでしたが、
張りが酷くなると、なんとかして飲んでもらわないと…!という雰囲気に。
おっぱいについてよくわからないながらも、このままでは不味そうだとわかりました。

それからは、授乳前に搾乳して、授乳が終わってからも搾乳、空いた時間におっぱいのマッサージをするという流れになりました。
授乳前の搾乳は、赤ちゃんが吸いやすいようにおっぱいを少しでも柔らかくするためです。
母乳が作られる量に対し、赤ちゃんが吸う量が追い付かないので、授乳が終わった後も搾乳し、次の授乳のときに哺乳瓶であげていました。
(最初は母乳の需要と供給のバランスが取れないことは、よくあるそうです)

授乳のときは3時間ごとに新生児室に行き、いつも同じ流れで動いていました。
前搾乳 ⇒ おむつ替え ⇒ おっぱい ⇒ ミルク ⇒ おむつ替え ⇒ 後搾乳 
それプラス、赤ちゃんが吐いて服が濡れたらお着替えがあります。
初めてのことばかりで全てのことに時間がかかり、なぜか2時間近く新生児室にいることもありました。(そんなんじゃ、合間に眠れるわけない…!)
小学校で給食が食べられなくて最後まで残されていたのを思い出します(笑)

入院中は、他のママさんたちは赤ちゃんのお世話や授乳をとても上手くやっているように見えて、
自分だけができていないように感じていました。
(コロナで交流しにくかったから余計にそうなってしまったのかも…)
振り返れば他のママさんも、不安や悩みをそれぞれ抱えられていたのだと思います。
ただ当時の私は環境の変化についていけずに、軽くパニック状態だったので、取り残されたような気持ちでした。

一度に入ってくる情報量が多すぎて、それを必死に実践しようとするけど、
上手くいっているのかどうかも自分で判断できず、常にキャパオーバーというかんじです。
(しかもお産直後+睡眠不足でキャパ自体が極小になっているという…)

病院では複数の助産師さんそれぞれがその都度状況判断をして、最善だと思う方法で指導してくださるので、授乳や搾乳では「さっきの人とやり方が違う…」とかも多かったです。
いろいろ試して、自分や赤ちゃんに合った方法を選べば良いのですが、
そもそもいろんなパターンを覚えられないというポンコツぶり(笑)

そして新しく教えてもらった方法を試してアタフタしていると、元々違う方法で指導してくれた助産師さんが来てくれて、元の方法をもう一度指導してくれるという気まずい場面が何度もありました。
バイトで仕事を教えてくれる店長と先輩のやり方が違って怒られる…みたいなかんじに似てます。
(注 病院ではそんなことで怒られないです!)

普通に「他の方法も教えてもらったから試している」と伝えれば良かったんですが、なんか上手く話せなかったんですよね。
いつもより3倍くらいコミュ症でした。
(わからないけど、とりあえずホルモンとコロナのせいにしときます☆)

入院中は、不安なことを助産師さんへ上手く相談できないせいで疑問が解消されず、それ以上聞きづらくなり、スマホで調べるもよくわからなくて不安…
という完全にアカン流れになっていました。
今となっては、せっかくプロがいるところにいたのだから、もっと納得できるまで教えて貰ったら良かったなと思います。

 

ぐるぐるとマイナスなことばかり考えていて、入院中が一番産後鬱に近かった気がします
「私のおっぱいが飲みにくいばっかりにごめん…」「抱き方が変な気がする」「搾乳、自分で全然できない」「げっぷが出せない…やり方おかしいのかな?」「他の人は赤ちゃんに喋りかけてるけど、どう接したらいいの?」「眠い、赤ちゃん落としたらどうしよう」「このまま退院してちゃんとやっていけるんだろうか…」などなど。
退院して少し落ち着いてみたら、
『悩んでたこと、大丈夫なことばっかりじゃんっ(笑)』となったのですが、当時は真剣でした。
今考えると、赤ちゃんを落とすことなんてそうそうないし、危険なことをしてなかったら多少変でも時間がかかってもそんなに困らないと思えます。

  

心身共にしんどい部分も大きかった入院生活ですが、もちろん辛い思い出ばかりではありません。
赤ちゃんはやはり赤ちゃんだけあって寝ているだけでも可愛いですし、一生懸命ミルクを飲む姿は応援したくなりました。
『おっぱいはただ反射で飲んでいるだけ』と聞いて、実はちょっと冷めた感覚も持っていたのですが、いざ自分のおっぱいを飲んでくれたときには嬉しくて泣きそうになりました。
(理屈じゃないんですね~)
あとは、ご飯が思っていたよりも美味しかったのも嬉しかったです。

産院を選ぶときに入院日数について深く考えていませんでしたが、
1週間くらいあれば少し気持ちに余裕を持てたかもなぁ…なんて今では思ったりもします。

妊娠・出産
スポンサーリンク
シェアする
おまめをフォローする
ゆるままノート

コメント

タイトルとURLをコピーしました